イチロー 何かを感じた日 Number 700

自分にプレッシャーを与えて、首位打者を取りに行った2007年のイチローの映像をNHKで見て心を打たれていましたが、さらに首位打者を失った打席の直後にすでにイチローは自分を客観的に見つめ前に進んでいく。

結果を出せる自分であるために向かった打席
切り替えることができるならそうありたい、だが僕は引きずってしまう。
この混乱を引きずったまま、なお結果を出すことを考える。

また、どんなに重荷を背負っても何かを生み出すことできると

根拠もなく、ただ信じているだけの話

と言ってしまえることや、自分の成果に対して

自分がたどり着いた場所に満足すること、そこが自分の中にある最高到達点。
さらに次の頂を目指す。

いろいろと本当に見習いたいです!


2007年9月29日 イチロー3度目の首位打者獲得が絶望的となった日
3打席、ショートゴロに倒れて首位打者が完全になくなってしまった。
そのあとの打席がイチローにとって大きな挑戦になっていた

打席に入るまでのことは何も覚えていないんです。結果を出すことだけに集中しようと思ったんですけど、でも全然、切り替わっていない。ずーっと引きずったままなんですよ。悔しさを引きずっているというよりも、混乱し続けているという感じかな。だから、打ったカウントも覚えていないし、とにかく鮮明に残っているのは、打って、ボールがピッチャーの足下を抜けて、センターに転がっていった、そのことだけです。結果を出せる自分であるために向かった打席で、結果を出すことができた。引きずりながら出したことに意味がありますよね。切り替えて結果を出せるものなら、切り替えられたことに意味はありますし、そうでありたいとも思いますけど、引きずってしまうものなんですよね、人間って……というか、僕は引きずってしまうんです。だから、引きずってなお結果を出すことを考えていましたから、そこにはちょっとした満足感がありましたね。

初めての敗北を味わったその日。イチローはそのわずか37分後には、すでにささやかな満足感を得ていた。自分の中での最後の戦いを終え、敗れた直後に、なおも自分を観察しようという強さを携えていたことになる。イチローは、弱さを晒しておきながら、さらに強さも晒そうとする。

尖って、弱さを隠そうとした20代前半
大人のふりをして、強さを隠そうとした20代後半
正直に振る舞って、弱さを晒そうとした30代前半
弱さを晒すだけでなく、強さまでも平然と晒せる30代後半

見ている人の視線を受け入れるか、受け入れないかというところだと思います。彼らがどれほどわかりやすい結果を望んだとしても、それを受け入れる。そうすれば、自分がベストを尽くせばいい、という話にはならなくなりますから。ベストを尽くせば結果はおのずと……なーんて今の僕が言っていたら、つまらないでしょう。どれだけ重荷を背負わされたとしても、今の僕には何かが生まれてくるはずだって信じてるだけなんです。根拠もなく、ただ信じているだけの話(笑)

イチローは、満足したら終わりだ、という物言いに納得しない。むしろ、満足していいし、実際に満足してきていたのだという。満足感を感じられなければ、自分の中にある最高到達点がいつまでもわからない。山の頂だと信じていたところに辿り着いて、ようやくその場所の高さがわかり、次の目指すべき頂きが見えてくる。