シリコンバレーは私をどう変えたか - 起業の聖地での知的格闘記 -

id:umedamochioさんが書かれた本。
アメリカにいたときから読みたくてやっと手に入った。

シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記

シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記

自分のためのメモ。気に入ったフレーズを。
p.16 天才たちが富を創り出す「天気のいい田舎町」

こちらに住んでから、多くのアメリカ人たちが「クオリティ・オブ・ライフ」という言葉を「マネー」の対概念としてよく使うのに気づいた。
つまり時間と心の余裕こそが有限で、その有限の資源を「マネー」に向けて使い果たすビジネス一辺倒の行き方を選ぶのか、「クオリティ・オブ・ライフ」の方に振り向け「マネー」の方は妥協する行き方を選ぶのか、ここに心の葛藤があるらしい。

p.19 失敗しても返さなくていいお金

「仮に事業が立ちゆかなくなって、失うものは何だろう」と、創業者たちがふと最悪の場面を想像するとき、それは自分たちが夢を追いかけた膨大な時間とエネルギーだけだと思えるに違いない。ならばやってみよう。「Nothing to lose!」(失うものなど何もないさ)。だから皆、何の憂いもなく、思いきり冒険(ベンチャー)できるのである。

p.21 氏名欄が空白になった名詞

ベンチャー企業は、投資家からの資金が尽きるまでの間に、徹夜で知恵をしぼり、製品やサービスを世に出し、ビジネスを立ち上げなければならない。
彼女が転職を重ねる理由は、より強い「成長への興奮」の中に身を置いて、何かを成し遂げてみたいと思う気持ちが強いからだろうと思う。

p.31 「産学一体」の伝統が息づくスタンフォード大学

私はシリコンバレーにやってきた当初、友人のアメリカ人たちが成功した企業家に対して、「あんな程度の奴でもこんな大成功ができるのか。俺にだってできないわけがない」とごく気楽に自然な気持ちを抱いているのを知って、われわれ日本人との違いを痛感した記憶がある。起業家精神と人は難しく言うけれど、スタンフォード大学の学生にとっては、自転車生活圏でカジュアルに身につける感性なのだろう。

p.33 人生のギアがぜんぜん違う

「見ていてごらん。この夕焼けの赤と、空の青さと、雲の白が、これからサンセットに向かって一分ごとに色を変えていくんだよ」

「人生のギア」が違うのか、確かにそうだ、私はうなった。才能と才能がしのぎを削って驚くべきスピード感の中で新技術開発が進むシリコンバレー。ここは、人生のある時期をすべて仕事に賭けることの代償に、運にも恵まれた一握りの競争の勝者には、信じられないくらいの富が約束される世界だ。その真っ只中は、「ギアがトップに入りっぱなしの」休まらない人生である。

p.46 「雇用思想」の日米落差

新しい技術が次々とすごいスピードで生まれて、本当はもっと新しい人材が必要なのに、すでに雇用している人材(基本的に日本人)の過労働・自助努力・再教育・再配置によって何とか乗り切り、世界と競争しようとしてきた。

「新しくて面白い事業や技術の種」を見ても、興奮を伴うエネルギーが湧き上がってこない。面白さに対する興奮の前に、大変そうだなぁ、くたびれるだろうなぁ、という思いが先に立ってしまう人が増えた。

p.49 ここならではの「流儀」

シリコンバレーでの流儀とは何なのか。
第一に、事業の成功・失敗はあくまでもビジネスというルールのある世界でのゲームで、それを絶対に人生に反映させないこと。
第二に、事業とは「失敗するのがふつう、成功したら凄いぞ」というある種「いい加減な」遊び感覚を心の底から持つこと。「成功するのが当たり前、失敗したら終わり」という「まじめ」発想を一掃しなければならない。
第三に、失敗したときに、「投資家や従業員や取引先といった関係者に迷惑がかかる」という考えを捨てること。皆、自己責任の原則で集まってきているのだと、自分勝手に都合良く思いこまなければならない。
この三つの知恵は、不運や失敗をしたたかに乗り切っていくための救命胴衣なのである。