12個の大きな石

松永真さんの本に出てきた話です。
とても、気に入ったので。
いろいろな人に読んでもらいたい。

チベットラマ僧が話した寓話
「12個の大きな石」の話

 ある日、チベットラマ僧が若い修行僧の集まりで、話をしていた。ラマ僧は集まっている修行僧たちの前に1ガロンほどの広口の壷を置き、そこに1ダースほどのこぶし大の石をひとつひとつ入れていった。やがて石が壷の入り口のところまでいっぱいになると、ラマ僧が修行僧たちに尋ねる。「この壷はいっぱいでしょうか?」修行僧たちは皆「はい」と答えた。だがラマ僧は次にバケツ一杯もの砂利を取り出し、その壷へザーッとあけて振ると、大きな石の隙間にその砂利が入り込んだ。それからラマ僧が再び尋ねた。「この壷はいっぱいでしょうか?」「多分違います」修行僧たちも、さすがに何かに気付いたようだ。「よろしい!」ラマ僧はそう答えると、次にバケツ一杯の砂を取り出した。その砂を壷にあけると、砂は石と砂利との隙間へと流れ込んでいく。そして再び「この壷は一杯でしょうか?」と問う。「いいえ」と修行僧たちは叫んだ。またもや「よろしい」ラマ僧はそういうと次ぎに水差しを取り出し、壷へと水を注ぐ。


 そして水が溢れそうになったとき「この例えの意味するところは、一体なんでしょうか?」と問いかけた。ひとりの若い修行僧が手を挙げて答える。「自分の時間表がどれだけ詰まっていようが、その気になれば、いつでもそれ以上のものを組み込めるということです」「いいえ」ラマ僧は首を横に振った。


 「大きな石は先に入れなければ、後から入れようと思っても入らなくなってしまいます。あなたたちの人生にとって大きな石とは何でしょうか?子供たち。あなたの愛する人たち。あなたの教養。あなたの夢。大義名分。他人の教育指導。好きなことをすること。自分のための時間。あなたの健康。あなたの大切な伴侶。自分自身と他人への敬意。そして、地球への思いやり。こうした”大きな石”を、まず最初に入れることを覚えておきなさい。
さもなければ、それらをいれることができなくなってしまうのですから。もしあなたが砂利や砂のように些細なことに汗するならば、あなたを悩ませる大した問題ではない、つまらないことに人生を費やしてしまうでしょう。そしてあなたは大きく、大切な事柄に向き合うべき本質の時間を持てなくなってしまいます。ですから今夜・・・いや、明朝にもこの話を思い出し、自分自身に問うてみて下さい。自分にとっての大きな石とは何でしょうか?そしてそれをあなたの壷に、最初に入れることです