ココロノナカ

とても大切な人へ宛てたメールです。
自分にとても素直になれた文章なので(日本語としてはおかしい部分も多々ありますが)載せておきます。

自分の目標が見えなくなってきているのは、
やっと真剣に自分のことを考え始めることができてきているかもしれない。

昔から目標を立てることが好きではなかったんだよ。「自分に想像できる未来が小さすぎて、つまらないから」人は描いた未来は実現できるんだよ。描けたものは。逆に描いたものにしかなれない。だから今までは、がむしゃらに走ることで夢を描こうとしていた。だから夢や目標なんて見ていなかったんだろうなって思う。ただそれが許されたのは、自分が一人で仕事をしたり生活してきたから。一人で考えて、一人で実行して、一人で失敗して、一人で。。。それなりにこなしてきたんだと思う。

でも、それだけじゃダメなんだって。最近分かってきたのかもしれない。
チームを持つようになって。自分の行動、発言、成功、失敗、感動、失望が与える影響が今までのそれとは違うんだよ。一人でやっているときは、目標なんていらなかった。がむしゃらにやって、成功したら喜んで、失敗したら凹んで、感動したら泣いて、やりたいことに集中して、自分が与える影響は自分だけのものだった。今は全く違うんだよ。今は自分の周りにすごく影響する。

だからもう絶対に「自分がぶれる」ことは許されない。
だから強い目標を示さなくてはならない。
そしてそれはできる限り大きくなくてはならない。

だから自分が信じることができる一番大きな目標を描こうとしてる。
それをみんなで共有して進んでいく必要がある。

だから苦しいんだけど。苦しいっていう表現が正しいのかどうか分からない。
ただ、苦しみぬいて、考え抜いて、生み出さなきゃいけない。
今まで、こんな自分勝手な人間を長い目をもって育ててきてくれた人たちがいるから。その人たちに恩返しするために。自分がしてもらったことを今、そしてこれから近くにいてくれる人たちにしてあげないといけない。

そのためには大きな目標を描いて、強く発信して、実現し続けなくてはいけない。

だから実はアメリカとか、世界の最先端というのは単なる一つの条件にすぎないんだよね。今の立場でいくらでもできるから。豊かな生活は自分がやっただけの成果を評価してもらった結果だから目標にはならないし、それは求めてないよ。家族を支えることは大前提。一番大切な人たちを守ることも大前提。(まだ、それすらできていない気もするけど)

そう考えた上で、大きな目標を立てなきゃいけない。

って言ってみても、でもこのまま進むことが幸せに続いているのかはよく分からない。一歩引いてゆっくり成長していくことが幸せなのかもしれない。自分の時間を十分にとってもっといろいろなことを見てみるとか。本質的にはここら辺の矛盾に悩んでいるのかもしれない。

とある、2008年の思い出。ということで。恥ずかしいけど。