ファインマンが考える教育

ファインマンは「意味をつくりだそうとすること」が「考えること」であり、そのことを伝えようとすることが「教育」や「学習」であると確信する。

 なかでマシなのは、ぜんまいオモチャの絵、自動車の絵、自転車に乗った子供の絵などで始まるもので、「これは何の力で走るのだろう?」と書いてある。うん、これはいいぞと先生は期待する。けれども次のページを見ると、どの絵にも「これはエネルギーによって動いているのです」とある。ファインマン先生は怒り出す。これでは何もわからない。
 先生ならどうするか。こんな例示を本書は示している。
 オヤジが子供に話している。「おまえは、何がモノを動かしていると思っているんだ?」「わかんない」「太陽が照ってるからなんだぞ」。そこで子供が反論する「ちがうよ、オモチャはぜんまいを巻くんだ」。オヤジが聞く「じゃあ、どうやってぜんまいは巻かれたんだ?」「ぼくが巻いたんだ」「それでおまえはどうして動けるんだ?」「いろいろ食べてるからね」。こうしてオヤジが得々として言う、「その食べ物はもともと太陽が照っているから育つんだ。だから太陽が照ってるからみんなが動くんだ」。